写真自体を見なくなった患者たちの眼に「リアル」は大きく分けてポジとネガ、二通りの現れ方をするようである。このとき女性患者をポジ、男性患者はネガの「リアル」を好む傾向にある、ポジのリアルとは何らかの意味で印象的な、記憶に残る画像効果(強いコントラスト、逆光、鮮やかな色、血、精液、死体といった衝撃的な被写体)である。ネガのリアルとは意味の不在、空虚、空白(何でもない日常、無人風景、無表現性)のことである。(フォトグラフィカ2009 winter vol.17 P111)
リアル脳炎は、写真に写真以外のもの(リアルなもの)を求めようとして罹る病である。なぜ写真以外のものを求めるかといえば、すでに巷には膨大な量の写真があふれ、世界は撮り尽くされているから「もはや写真に撮るべきものはない」「撮り尽くされた写真の外に出なければならない」と思うからである(初期症状)。
ここから、写真の外部としての「リアル」と、写真という表象の世界という二項対立が現れ、前者の項に「他者」「無意識」「外部」「自然」「写真性」「アナログ」「女」といった概念が入ると、後者の項では「自己」「意識」「内部」「人為」「絵画性」「デジタル」「男」がそれぞれ対応するようになる(重症化)。この段階になると、患者は写真から「リアル」をしようとして写真そのものを見ないようになり、それとともに両極間で弁証法的な往復運動(リアルと見せてフェイク、とみせてリアル:抽象と見えて現実風景:絵を描いて写真に撮って、それを絵に描いてまた写真に撮る・・・など)が始まる、さらに往復運動自体がマニエリスティックに自己目的化してそこから出られなくなる。(フォトグラフィカ2009 winter vol.17 P111)
ダゲールやタルボット、ニエプスらは、トレノの聖骸布や聖人ヴェロニカのことを知っていたから、発明に情熱を燃やしたのだと、僕は思う。 そのトレノの聖骸布が一般に知られるようになったのは、1898年にセコンド・ピアに撮影され、ネガ反転の写真が発表されてからだ。 ネガ反転写真が、まさにキリスト像に見えたので、その名声が高まった。 セコンド・ピアの聖骸布のネガ反転写真は、その後にもっとも流通したキリスト像となる。 先日、聖骸布をデジタル写真で撮り、コンピュータ処理したところ、ナザレのイエスの文字を発見したというニュースがあった。
僕はそう思ってる。 聖人ヴェロニカという人がいる。 磔になるキリストの顔を拭った人、その布にキリストの顔が写ったという聖書の記述があり?写真家と洗濯屋の守護聖人である。 この人がいたから、偶像崇拝禁止にも関わらず、キリストの肖像を写すこと、が許された。